中学受験理科専門講師、木ノ下翔です。
プロフィールには、
「灘高校卒」
「京都大学へ進学」
「元浜学園講師」
などと書いています。
仕事上、分かりやすい経歴なので載せています。
ただ、これだけを見ると、子どもの頃からずっと勉強ができて、順調に受験を勝ち抜いて、そのまま塾講師になった人間のように見えるかもしれません。
実際は、そんなにきれいな経歴ではありません。
中学受験では第一志望に届いていません。
灘高では勉強より友人と遊ぶことを選んだ時期もあります。
東京大学にも落ちています。
塾講師になったのも、最初から立派な教育理念があったからではありません。
振り返ってみると、うまくいったことも、いかなかったことも結構あります。
それでも結局、私は今、中学受験理科を専門に教えています。
なぜこうなったのか。
少し長くなりますが、私自身の話を書いてみようと思います。
特別な教育家庭で育ったわけではありません
私は公立小学校に通い、ごく一般的なサラリーマン家庭で育ちました。
いわゆる教育パパ・教育ママの家庭だったわけではありません。
小さい頃はいろいろな習い事をしました。
スイミング、体操、英会話、ピアノ、公文、剣道。
何か一つの英才教育を受けていた、という感じではありません。
中学受験についても、最初から難関校を目指して大手進学塾で鍛えられていたわけではありません。
小学5年生の終わり頃まで通っていたのは、地元の小さな個人塾でした。
ところが、その先生が体調を崩されました。
そこで小学6年生の4月から、浜学園へ通うことになります。
今の中学受験を知っている保護者の方なら、
「小6の4月から浜学園?」
と思うかもしれません。
かなり遅いスタートです。
私の中学受験は、成功体験ではありません
そして、中学受験。
第一志望には届きませんでした。
滑り止めとして受験していた学校へ進学しました。
ですから、私自身の中学受験を「難関校に合格した成功体験」として語ることはできません。
むしろ逆です。
受験というものが、
「頑張れば必ず思い通りになるものではない」
ということを、かなり早い段階で経験しました。
ただ、中学受験で届かなかったからといって、
「自分はここまでなんだ」
とも思いませんでした。
その後、高校受験でもう一度挑戦することになります。
塾なしで、灘高校へ
高校受験では塾には通いませんでした。
自分で勉強して、灘高校を受験しました。
そして合格しました。
これは今振り返っても、自分の人生の中ではかなり大きな出来事です。
中学受験では届かなかった。
でも、その数年後には灘高に合格した。
この経験があるので、私は生徒を見ていても、
「今できないから、この子には無理」
とはあまり考えません。
数年あれば、人はかなり変わります。
一方で、
「努力すれば必ず報われる」
とも言いたくありません。
私自身、そうではなかったからです。
受験はそんなに単純ではありません。
だから私は、
「頑張ろう」
だけではなく、
じゃあ、今何をやるのか。
を考える方が好きです。
灘高に入ったら、勉強一筋……ではありませんでした
ここから順風満帆なら、プロフィールとしては非常にきれいなのですが、そうでもありません。
灘高に入った私は、普通に思春期を迎えます。
そして、勉強時間より友人と遊ぶ時間を選ぶようになります。
灘高には面白い人間がたくさんいました。
勉強以外にも興味のあることが増えました。
その結果、大学受験に向けて十分な準備をしたかと聞かれれば、していません。
東京大学を受験しました。
落ちました。
今から考えれば、準備不足だったと思います。
浪人して、「やっぱり関西にいたい」と思った
浪人しました。
ただ、浪人したからといって、突然一日十何時間も勉強する人間になったわけでもありません。
勉強はしました。
でも、今振り返れば比較的緩やかにやっていたと思います。
そして、その頃になると、
「東京に行きたい」
より、
「やっぱり関西にいたいな」
という気持ちの方が強くなりました。
最終的に京都大学法学部へ進学します。
ここも、
「幼い頃から京都大学を目指し、努力を重ねて夢を実現しました」
という話ではありません。
私の人生は、あまりそういう感じではありません。
大学では、勉強よりアルバイトにのめり込みました
京都大学へ入ってからは、アルバイトをかなりやりました。
そして、その中の一つとして行き着いたのが、浜学園の講師でした。
ここが、今の仕事につながる大きな転換点になります。
ただし、最初から、
「子どもたちの未来のために教育者になろう」
と思っていたわけではありません。
普通にアルバイトとして始めました。
むしろ最初に私を引きつけたのは、もっと人間臭い理由だったと思います。
授業がうまくいく。
生徒が分かってくれる。
自分の説明で教室の空気が変わる。
評価される。
自分が得意なことで人から認めてもらえる。
これが面白かった。
今振り返れば、承認欲求もかなりあったと思います。
でも、それでいいと思っています。
それがきっかけで、私は塾講師という仕事にどんどんのめり込んでいきました。
どうせやるなら、もっと上手くなりたかった
授業をやれば、当然うまくいかないこともあります。
自分では説明したつもりなのに、生徒には伝わっていない。
もっと上手な先生がいる。
自分が知らない問題もある。
そうなると悔しい。
もっと上手くなりたい。
もっと問題を解きたい。
どうせやるなら、誰より詳しくなりたい。
そう思うようになりました。
幸い、浜学園では良い先輩講師にも恵まれました。
問題を解く。
教材を研究する。
どう説明すれば分かるかを考える。
また授業をする。
その繰り返しです。
そして、いつの間にか、
「塾講師という仕事が面白い」
から、
「中学受験理科そのものが面白い」
へ変わっていきました。
理科は、掘れば掘るほど面白かった
私はもともと理科が好きでした。
大学受験では文系を選んだので、受験科目として理科を使い続けたわけではありません。
でも、中学受験理科を改めて本気で勉強すると、非常に面白かった。
植物。
昆虫。
天気。
星。
電気。
力学。
水溶液。
燃焼。
一見すると、全部バラバラです。
でも、
「なぜ?」
と一段掘ると、急に面白くなる。
さらに掘ると、別の話とつながる。
計算問題でも、
「この公式を使います」
で終わるのではなく、
「そもそも、なぜこの関係になるんだろう」
と考える。
すると、複雑に見えていた問題が、
「なんだ、結局こういうことか」
と急に単純になることがあります。
私はこの瞬間がかなり好きです。
そして、気がつけば中学受験理科を延々と研究するようになっていました。
集団授業から、「一人を見る」個別指導へ
浜学園で講師をした後、先輩講師たちに誘われ、大阪・上本町の個別指導塾へ移りました。
ここで、私の指導はかなり変わったと思います。
集団授業では、
「このクラスにどう教えるか」
を考えます。
個別指導では、
「この一人をどうするか」
を考えます。
たとえば、同じ50点でも中身はまったく違います。
知識がなくて50点なのか。
計算ミスで50点なのか。
文章を読み違えているのか。
難問に時間を使いすぎているのか。
本当は理解しているのに、記述で点になっていないのか。
点数だけ見ても、ほとんど何も分かりません。
答案を見る。
その子がどう考えたかを見る。
そこで初めて、
「次に何をするべきか」
が見えてきます。
これは、今の私の指導にもかなり残っています。
そして、自分たちで塾をつくった
個別指導に携わる中で、運営面も含め、いろいろな問題が出てきました。
このままでは塾そのものが続かないのではないか。
そう考える状況になり、2017年、当時一緒に働いていた講師たちと「灘個別塾」を設立しました。
今度は雇われて授業をするだけではありません。
自分たちで塾をつくる側です。
どういう先生を集めるのか。
どういう指導をするのか。
どうすれば一人ひとりをきちんと見られるのか。
講師としてだけでは見えなかったものも、かなり見えるようになりました。
その頃には、すでに父親でもありました
長男が生まれたのは2015年です。
つまり、灘個別塾を設立した2017年には、すでに子育ても始まっていました。
塾講師という仕事は、子どもたちが学校から帰ってくる時間から忙しくなります。
自分の子どもが家に帰ってくる時間に、私は他の家庭の子どもを教えている。
塾講師という仕事をしている以上、ある程度は仕方ありません。
ただ、自分の子どもが成長していくにつれて、
「これから、どこを拠点に、どういう形で仕事をしていくのか」
を考えるようになりました。
2020年、奈良で「学問のすすめ」を始めました
その後、灘個別塾を離れ、2020年3月、奈良で「学問のすすめ」を始めました。
現在は大和西大寺を拠点に、「学問のすすめ 大和西大寺教室」を運営しています。
今も実際に受験生を教えています。
答案を見ます。
過去問を見ます。
教材を見ます。
そして、中学受験理科の問題を解き続けています。
さらに現在は、中学受験理科の動画学習サービス「理科の伴走」にもかなり力を入れています。
振り返ると、かなり遠回りしました
中学受験では第一志望に届かなかった。
高校受験では灘高に合格した。
灘高では遊んだ。
東大には落ちた。
京大へ進学した。
大学ではアルバイトに明け暮れた。
そのアルバイトで塾講師に出会った。
最初は承認欲求もあってのめり込んだ。
理科を研究した。
集団授業をした。
個別指導をした。
仲間と塾をつくった。
父親になった。
奈良で自分の教室を始めた。
そして今、理科の動画サービスまでつくっています。
こうして並べると、
「最初から中学受験理科専門講師になるために歩いてきました」
とは、とても言えません。
むしろ、その時々で興味を持ったものを追いかけ、失敗もしながら進んできた結果、ここにいます。
肩書より、積み上げてきたものの方が大事になりました
灘高校卒。
京都大学へ進学。
元浜学園講師。
初めて私を知ってもらうには、便利な肩書です。
ですから、これからもプロフィールには書くと思います。
ただ、今の自分にとって本当に価値があると思っているのは、その後の時間です。
何年も中学受験理科を教えてきた。
大量の問題を解いた。
いろいろな子どもの答案を見た。
うまくいった指導もあった。
うまくいかなかった指導もあった。
受かった子も見た。
届かなかった子も見た。
学校ごとの問題の違いも見てきた。
学生講師だった頃には分からなかったことが、今なら分かります。
逆に、経験年数だけを誇って、昔の知識だけで教えるようにもなりたくありません。
だから今も新しい問題を解きます。
教材を見ます。
入試問題を研究します。
中学受験理科という、かなり狭い世界です。
でも、この世界については、
相当長い間、かなり深いところまでやってきた。
そこには自信があります。
私は「努力すれば必ず報われる」とは言いません
自分自身の受験を振り返っても、教えてきた生徒を振り返っても、
「努力すれば必ず報われます」
と簡単に言う気にはなれません。
受験には相手があります。
問題との相性もあります。
当日の調子もあります。
残された時間も違います。
本人の性格も違います。
現実はそんなにきれいではありません。
でも、
「今できないから無理」
とも思いません。
私自身、中学受験では届かなかった学校に、高校受験で合格しました。
だから私が考えたいのは、
「この子には才能があるか」
より、
「今のこの子に何が足りなくて、ここから何を変えられるのか」
です。
そして理科についてなら、その判断をするための材料を、私はかなり持っています。
結局、私は理科を教え続けています
大学時代、アルバイトとして始めた仕事でした。
最初の動機には承認欲求もありました。
それがいつの間にか、20年以上、中学受験理科を考え続ける仕事になりました。
今でも、新しい問題を見ると解きたくなります。
面白い問題を見ると、
「よくこんな聞き方を考えたな」
と思います。
難しい問題を単純な構造までほどけると、やはり面白い。
そして、それを子どもが理解して、
「ああ、そういうことか」
となる瞬間も好きです。
たぶん私は、結局これが好きなのだと思います。
だから今も、
中学受験理科専門講師
を名乗っています。
木ノ下 翔


